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2008年11月 3日 (月)

日本海ケーブル

 近着のKDDI広報誌 TIME&SPACE 2008年10・11号によると、日本~ロシア間の光海底ケーブルが開通し、9月6日から運用を開始したという。

 ロシア最大の長距離通信事業者のロステレコム(Rostelecom)とKDDI共同で、日本~ロシア間光海底ケーブルネットワークRJCN(Russia-Japan Cable Network)が日本側は直江津(新潟県上越市)、ロシア側が極東ナホトカとの間に完成した。それも障害対応のため、南北の2ルート、それぞれ約900km、伝送容量は各ルート640Gbpsだという。
 太平洋横断光ケーブルで米国経由の日本~ヨーロッパ間の電気通信は、大幅に伝送容量、伝送遅延などが改善されることになる。とくに外国為替のディーリングなど、端末のキーを押すタイミングと実際のデータが相手側に到達するまでの伝送遅延が大きな問題であったのだ。

 明治の初期、デンマーク系の大北電信会社(GNTC)が1971年12月に長崎~上海間に、翌年1月に極東ロシアのウラジオストックから長崎まで敷設した海底電信線が開通した。これで日欧間に南回り、北回りの電信線が開通、日本の国際通信の始まりであった。東京~横浜間の電信開通から2年後のことである。
 この電信線は、1本の導体を中心に周りを保護材で包んだケーブルで、通信も電流の断続による電信であった。

 それから約100年後の1969年7月、大北電信会社GNTC、ソ連政府と日本側は国際電信電話株式会社KDDの3社の手で日本海ケーブルJASCが引かれた。極東ソ連のナホトカと新潟県直江津(五智)との間、全長890kmの同軸ケーブルによる広帯域回線である。電報も電話も、その通信容量は増大したのだった。
 日本の国際通信発祥の地、長崎国際電報局は業務を終了。長崎の旧海底電信ケーブルの陸揚庫(ケーブルハット)は通信史跡として、長崎市小ケ倉千本の地に復元されているという。(この項、KDDI社史を参照)

 日欧間の航空路もアラスカのアンカレッジや北極海経由のポーラールートからシベリアルート経由に移行し、時間的に近くなり、シベリア鉄道経由のヨーロッパ旅行もレジャーの楽しみを増してくれる(鉄ちゃんとしてまだ未乗区間だが)。
 仕事を卒業してからは、国際電話もテレックスも利用したことはない。でもEメールやインターネットのWEB探訪には、最新の国際通信ルートを利用しているはず。どの海底ケーブルか、どの衛星回線を経由しているのかはわからないけど。
 千葉県千倉の太平洋ケーブル陸揚局は見学させてもらったが、長崎のケーブルハット旧跡も訪ねてみたい。ホテルの前庭の隅に小さな記念碑が立っていたが、陸揚地は分からなかった。それに直江津の最も新しい局舎、RJCNの施設も見学したい。

2006年11月15日 (水)

電話変成器

 去る10月、山梨県南巨摩郡増穂町に住む方が、自宅の別棟を「電話博物館」として公開されました。NHKのローカルニュースで紹介されたので、見学する機会がありました。我が国に電話が入ってからの歴史的な電話機が、ずらりと並べて展示されていました。「館長」さんはNTTにお勤めですが、機種更新で廃棄になった電話機や古物商で見つけた「掘り出し物」的な装置まで、若干の説明つきでズラーリと並んでいます。明治30年代のブレゲー式電話機や、電電公社の最後の制定機種である600型まで、約500台を保存されているとか。その一部が今回、公開されていました。

 展示品の総てを興味深く拝見したのですが、中でも「電話変成器」なる装置の前で足が止まってしまいました。10回線の内線交換機ですが、局線(電話局からの電話線)が直接にはつながっていないのです。内線から外線に電話をするときには、またはその逆に外線から掛かってきた電話を内線につなぐときには、交換手が電話機の送受話器を内線交換機に付属の箱に入れるのです。この箱にはスピーカーとマイクロフォンが組み込まれていて、送受話器をこれらに結合させるのです。

Pa240026 送受話器のマイクをスピーカーに、受話器をマイクロフォン部に乗せます。周囲の雑音を避けるために箱の蓋を閉めてしまいます。箱の中は音が響かないように柔らかい布が貼ってありました。
 箱の銘板によると、「電話変成器=Phone Trance」とあり、昭和37年11月、KOBE DENWAKI KK製で装置全体は「K型交換機」となっていました。

 私は通信社で働いていましたが、外国通信社のニュース受信と我が社の海外特派員との連絡が仕事の一部でした。当時海外からの記事送稿には主にテレックスが使われていました。支局からの送稿にはそれでよいのですが、国際会議とか事件現場など支局を離れて取材・送稿するのには、電報局に出向いて原稿を依頼するしかありません。
 そこで記者に携帯型パソコン(HCC=HandHeld Conputer)を持たせ、現場から国際電話を使って原稿を送る仕組みを考えたのです。HCCはB5判程度の大きさで、現在のノート型より小さくて軽いものです。HCCには内蔵モデムと音響結合器(Acoustic Coupler)を用意していました。
 記事はローマ字で書きました。現在のように日本語ワープロはまだありませんでした。送られてきた原稿は、本社のコンピューターに自動的に取り込まれます。そこで漢字交じりの日本語に自動的に変換される仕組みです。この仕組みを「ローマ字漢字変換=RKC」と呼んでいました。日本語ワープロの前身とも言えるものです。
 余談ですが、ここに登場する音響結合器の設計では苦労した覚えがあります。特に衛星回線を経由の国際電話回線には反響をなくすためにエコーサプレッサーという機能が仕組んでありました。この機能が働くと、コンピューター同士の通信が出来なくなってしまうのです。この機能を避けるための方策が問題になったのです。

 こんな仕事は昭和50年代後半のことです。その20年も前に、電話回線と内線交換機とを相互につなぐという目的で、音響的に結合させる「電話変成器」なるものが実用されていたという事実に、びっくりしたのです。

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