「終戦覚書」について
岩波書店発行の雑誌「世界」創刊当時のものを探して、近くの図書館を訪ね歩いた。「世界」は終戦の翌年、昭和21年1月に創刊され、現在まで続いている。その年の3~5月号を探していたのだ。町田中央図書館には5号と12号だけあったが、目指すものは揃っていなかった。
近傍の図書館まで蔵書検索をしていただいた結果、都立中央図書館(港区南麻布・有栖川宮記念公園内)、国会図書館(千代田区永田町)、それに近くの相模原中央図書館に「永久保存」されていることが分かった。国会図書館には1号から108号(昭和29年12月号)までがマイクロフィッシュで対応しているが、現物は見られないとのこと。
昨日は横浜線淵野辺駅西口近くの相模原中央図書館を訪ね、調べものセンターのお世話になった。
探していたのは、辰巳亥子夫氏の「終戦覚書」シリーズ、その中身は-
その一 マリアナ敗戦余燼 (昭和21年3月号)
その二 決戦か終戦か ( 同4月号)
その三 悲しき終止符 (同5月号)
である。太平洋戦争の開戦前後・戦中における海軍と陸軍との確執や、戦争後半の東条内閣打倒運動から敗戦前夜における軍内部の動きなどを、海軍の要職にあった立場で回想している内容だ。
ソ連への講和仲立ち要請の動き、ポツダム宣言の取扱とか、海軍内部にあってある立場での動きを、当事者として書いている。文中に「S」として出てくるのは筆者の辰巳氏であろうと想像される。
辰巳亥子夫とは、終戦直前には海軍省教育局長をしながら米内海軍大臣、井上次官などから秘かに終戦工作を命じられたという高木惣吉海軍中将のペンネームである。Sとは惣吉の頭文字からとったのか。東久邇終戦内閣では副書記官長だった人物である。(この項、ウィキメディアを参考にしました)。
実は「終戦覚書」の発見は、別の記事を探していての副産物である。昭和20年8月に原爆が広島に落とされた直後、トルーマン米大統領がそのことを発表したとの報道を同盟通信が傍受した。
同盟通信の古野社長は記者を仁科芳雄博士のもとに使わし、その情報(同社戦時調査室が発行していた「敵性情報」と呼ばれていた)を知らせたという事実を、昨年共同通信社(同盟通信の後身)が記事として配信した。
その記事を書いたO記者からの情報で、その事実を仁科博士が「世界」の第3号に発表していると知ったからだ。
「世界」の3月号には仁科芳雄博士が「原子爆弾」との題で、前記のことから広島を調査して原子爆弾であることを確認、さらに原子爆弾の原理についても詳しく発表されていた。さらに次月の4月号には、「原子爆弾とアインスタイン」と題するY.N.との署名記事も載っていた。
当時、広島と長崎に落とされたのは「特殊爆弾」としか、国民に知らされていなかった。それを「原子爆弾」だったと国民に公表されたのは何時だったか。翌年始めには、原爆についての詳細な解説記事までもが発表されていた事実を知った次第である。






最近のコメント