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-天気予報コム-

2009年1月 5日 (月)

正月の富士山を眺めて

 昨日で正月休みのUターンラッシュは終わり、今日の月曜日から現役組は職場に復帰、学校も始まったようだ。甲府盆地は晴天続きだった年末年始も、今日の夕方から雲が出てくるとの予報だ。朝起きると西側の南アルプスに雲はない。白鳳三山は白く輝き、ひだの明暗もはっきりと見える。

 朝のセレモニーも終わって11時ころ、御坂峠を越えて河口湖へと二人で出かけた。トンネルを出て見晴台まで来ると、富士山の東側は雲が出ている。残念ながら前景を現していないが頂上まわりは晴れていた。県外からを含めて数台の車が止まっていた。

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 河口の交差点を右折、大石の集落を抜ける。湖畔通りもトンネルを避けて旧道を行く。随所で道端に車を止めて浜に降りて新春の富士を鑑賞しているのんびり組みも見られる。風もなく水面は穏やか、客は少ないが観光船もゆっくりと動いていた。
 正月休みも終わって、すべてがのんびりとした気分を味わえる。

 西湖の回りも静かだった。野鳥の森公園ではいくつかの氷のオブジェが展示されているが、何の形か分からない代物だった。精進湖まで来たときにはお山はすでに雲に覆われて見えない。
 峠を二つ越えて甲府j盆地へ戻り展望が開けると、盆地の先に八ヶ岳、南アルプス連山がくっきいりと遠望できる。昨日までだったら空気も澄んで雪を冠った山々は鮮やかに見えていたのだが、今日は冷気団が近づいている。逆光でもあり若干見えにくいが、やっぱり山峡(やまかい)の国である。四方を見栄えのする山々に囲まれている。

=2009年1月5日=

2008年12月27日 (土)

サンシャイン60水族館

 新聞販売店のサービスで、池袋のサンシャイン国際水族館と60階展望台の入場券が手に入っていたが期限が12月末である。クリスマス・イブの讃美礼拝も終わり、珍しく年賀状の発送も済んだので、暮れも押し詰まった晴天の一日、妻と二人で池袋を訪れた。
 定年を挟んだ約10年間をこの近くに勤務していてサンシャインビルそのものには何度も訪れていたのだが、主に食事のためのレストラン街であった。久しぶりに訪れると、その店々の並び具合も変わっていた。

 一番奥のエレベーターで屋上まで上がる。プラネタリウムと並んだ右側の入り口を進む。深海から浅瀬、熱帯のマングローブの根に潜む魚、大西洋に住む魚などが大きな水槽の中をゆったりと泳いでいる。
 「お子様を連れ」た若い家族や、近い将来はそうなるであろうカップルたちで賑わっていた。珍しい魚たちに向けて、みんな携帯電話で写真を撮っている。こちらもとデジカメを向けたが、フラッシュが点いてしまう。水槽の脇には「フラッシュ撮影ご遠慮下さい」「フラッシュ撮影禁止」と掲示されている。
 暗い通路の隅に立ち止まってカメラのモードを設定しなおそうとメニューを見るが、フラッシュを止める方法が分からない。写真を撮るのを諦めた。「変なおじいさん!」と子供たちに思われたかも知れないが。
 有名なラッコの水槽では、係りの人が長い柄の先に袋がついた道具で底のごみを取り除いていた。ラッコは2匹しかいないのだが、ときどき陸に上がって係りのお姉さんにじゃれついていた。水面を泳ぐ姿は、写真でみていたとおりお腹を上にしている。思ったいたのより図体は大きい動物だ。

Dig_012  屋上の広場では動物やガチョウたちに芸をやらせて、子供たちを喜ばせていた。水鳥も沢山いたが、水族館なのにヤギやウサギたちも。赤ちゃんが生まれたとかで、ペンギンの家族も賑やかである。【写真】

 エレベーターで地下1階へ降り、サンシャインビルのエレベーターに乗り換えて60階の展望台へ。この日、関東一円は弱い風も吹いているので見晴らしは良い。関東山地や丹沢山系まではかすんでいて見えなかった。
 東京タワーの先には横浜のランドマークタワーも遠望できる。23区内は地図を頭に浮かべながら、あれが六義園、こっちが小石川植物園などと、目に入る森を妻に案内する。勤めていたビルも懐かしく眺めたが、今は使っていないので大型の予備発電機や空調装置が設置されていた屋上は鉄骨だけが残っていた。あのビルは、会社ではコンピューターセンターとして使っていたのだ。
 せっかく来たのだからと、階段を登って屋上の外部展望台まで覗いてみたが南面だけ。それも鉄格子に囲まれ外縁から離れているので近くは見えない。

=訪れた日:2008年12月25日=

2008年8月25日 (月)

ハムライフ

 今年も8月23日(土)・24日(日)と2日間、東京ビッグサイトでハムフェアHAMFAIR2008が開催されたので、初日の23日に数年ぶりに出かけてみた。

 まず最近の製品動向はとJAIA(日本アマチュア無線機器工業会)コーナーを覗くと、無線機とアンテナのメーカーが2社づつと寂しい。ビジネスコーナーのハムショップが不参加社の製品も展示しているのが参考になる程度である。衛星通信やインターネット経由の交信を楽しむ向きも多いらしいく、その関連を展示するブースも目立つ。

 携帯電話が浸透した昨今、電話ごっこを楽しむ層で盛り上がっていた時代と異なるので、どんな人たちが集まっているのかも興味のあるところだった。明治生まれのOMたちに交じって、若い人たちも沢山いて混雑気味である。嬉しいことにYL(若い女性)も見かけたが、お友達にご同伴?なのか。夏休みのせいか、子供づれのファミリーも見受けられた。

 アマチュア無線は King of hobbies と言われてもいるのだが、趣味の多様化でどうなるのやらと心配しているところだ。自分でRig(送受信機)を作り、場所を苦労して張ったアンテナから電波を飛ばす。へなちょこ電波が空中を飛び、見ず知らずの相手と交信できたときの感激は忘れられない。
 そー言う自分自身もメーカー製のRigとアンテナを使っている。最近の電子部品は細かすぎて、弱った目で半田付けは難しくなってきている。高いところへ登るのも危なっかしいのだ。

 会場へ話を戻す。クラブコーナーも一回りした。相変わらずジャンクを並べたりして、活況を見せていた。知り合いに会ったのは一人だけ。武相ハム倶楽部のメンバーで、某メーカーの現役である。「アマチュア無線家9条の会」のコーナーでは入会手続きもしてしまった。
 会場への往復は浜松町から都営バス(虹01系)を利用。来月にテレコムセンターで別の会合が予定されており、その下調べの目的もあった。

 9月には自局の免許の有効期限が来る。7月に再免許も申請し、すでに新しい免許状も交付されている。JARL(日本アマチュア無線連盟)に新しい免許期限を通知しておいた。期限が近付くと再免許申請を忘れないように連絡してくれるのだ。
 更新手続きの書式を求めて秋葉原へ行ったとき、家電店は相変わらず賑わっているし、やたらとパソコンや携帯電話関連の店が目についた。馴染みだったハムショップを訪ねたが閉まっていた。他の店で必要な書式は手に入れることができた。ハム関連の店は2・3軒しかないという。時代が変わったことを強く感じた次第である。

 1955年初夏に予備免許、8月に国際電電(現在のKDDIの前身)名埼送信所での工業実習で落成工事延期届を出したりして、9月4日に落成検査を受け本免許が下りた。
 今年で開局53年目を迎えた。この間、休止届は出すことなく免許は続いている。もちろん、ペーパーライセンス同様の時期もあったが。現在も実質的にはQRT(運用休止中の略号)みたいなもの。太陽も元気になってくる時期だ。たまにはQRV(運用中の略号)して、居ながらに日本旅行あるいは世界旅行でも楽しむことにするか・・・。

2008年5月22日 (木)

5月の菜園にて

 ゴールデンウィークが終わると菜園の眺めが賑やかになる。
 苗を買ってきて植えたのは:

  トマトはミニの赤・黄・桃太郎と3種類を2株づつ
  ピーマン2株
  ナスは水ナスと紫水という丸めの実がなるのを各2株
  節成キウリを6株も植えた。

 ヤーコンは昨年の収穫から種芋として地中に埋めておいたものが発芽していたので、その中から14株を2畝に植えつけた。枝豆も芽をだしている。インゲン、トウモロコシなども蒔いた。時無し大根も蒔いてある。
 じゃが芋は4月になってから3kgを植えつけたが、52株中の1株だけ生えてこなかった。例年だと3月下旬には種芋を植え付けるのだが、今年は私がインフルエンザA型に罹ってしまい約1と月遅れて作付けした。その年に掘り残した芋でも秋には小芋が付くのだから、1と月ぐらいの遅れは問題ないだろう。おかげで折角の発芽が遅霜に遭う心配も不要だった。

 昨年秋に蒔いたさやえんどうは、どうやら家で消費する分は採れている。

Farm080518  菜園の周りは矢車草とせりの群落に囲まれている。数年前に植えたものから種が勝手に飛散したものだ。同じように毎年、コスモスと背の高いひまわりに畑中が覆われるのだが、今年はまだ目立っていない。
 蒔いた種は芽を出させるのに苦労するが、蒔かない雑草は天候にかかわらずに元気に生えてくる。夏には雑草を抜いている後ろから、振り向くと新しい草が生えだしているのにはがっかりする。

 野菜は苗を植えたり、種を蒔いているころが一番の楽しみだ。実を収穫するころに期待通りに収穫できないでがっくりするのが慣わしである。病気や虫の被害が大きい。
 自分では「有機、無農薬農法だ」と慰めているが、「虫が食べるぐらいだから安全だ」とか言いながら、虫の食べ残しを収穫することになる。

 それでも、今年の収穫を楽しみに!

2007年3月24日 (土)

日本民芸館と旧前田侯爵邸

 駒場の日本民芸館で催されている創設70周年記念特別展「柳宗悦と丹波古陶」の入場券をASA販売店から頂いたので、終了する3日前の今日、参観に出掛けた。
 京王井の頭線東大駒場駅から歩いて7分、高級住宅地の中に民芸館があった。靴を脱いで上がる。どの部屋が特別展でどこが常設展示部分なのか判然としないが、いずれも民芸的には価値があるものであろうと推察できる。しかし、残念ながら私にはその価値は分からない。
 道路の反対側に、柳宗悦が72歳で亡くなるまで住んでいた屋敷がある。特別展会期中の第2・3水曜日と第2・3土曜日だけ公開されるとのこと。今日は金曜日なので扉は閉まっていた。

 収蔵庫の脇の道を進むと、駒場公園南口に出くわした。天気も良いので、子供連れやスケッチを楽しむ人たちで賑やかだ。旧前田侯爵邸洋館は土・日・祝祭日のみの開館で、今日は窓から内部を覗くだけ。
 裏に続く和館の方は1階のみ無料で公開されている。二間続きの大広間、その廊下からは鯉が泳ぐ池やつくばいのある庭が見渡される。しかし、下りて散策はできない。
 玄関で靴を履くときに隣に腰掛けた外国人の婦人に話しかけた。南アフリカの人で亭主の仕事で1年半ほど在日中だという。住まいが松濤でこのあたりは散歩の範囲だという。こちらは初めての訪問だが。

 加賀百万石の殿様だった旧前田家の前田利為(としなり)侯爵が昭和5年に建てた邸である(洋館の方は昭和4年)。ロンドン大使館駐在武官の経験から、外人接客用に建てたものだという。
 駒場農学校(後の東京帝国大学農学部)が本郷に移転した跡地を、第1高等学校や東京農業教育専門学校(後の教育大農学部)などと分割して使用した土地だ。
 太平洋戦争の敗戦後、占領軍に接収され、米極東軍司令官だったリッジウェイなどが官舎として使用していた。(=この項、説明資料から)

 帰りは小田急線東北沢へ出た。駅へ入る前に、世田谷北沢三郵便局へ寄った。このあたりは世田谷区、目黒区、渋谷区が入り組んでいて、一つ道路を渡ると行政区が異なる。

(訪れた日:2007年3月23日)

2007年3月22日 (木)

FSCとHELP

 この二つのアルファベットの組み合わせは、相互に全く関連はない。3月20日(火)1日に出会った文字列である。

Dscn0253  この日の甲府盆地は晴天で風も弱く、西山(南アルプス連山)がとても綺麗に見えていた。買い物の途中、金川に架かる橋の上から防災林の向こうに見える西山を眺め、写真を撮ったりしてひとときを過ごした。
 付近一帯は森林公園「金川の森」として整備されている。桜には早いが、黄色に花を付けた灌木など見ながら林の中の散策には良い季節である。
 駐車場の前に管理事務所があった。花や鳥の写真展を覗く。パンフレットの中に、「みんなで支えよう!私たちの大切な森林」というのを見つけた。海のない7県(栃木、群馬、山梨、長野、岐阜、滋賀、奈良)の森林の公益的機能拡充推進協議会の発行。その山梨県の項に、FSC森林管理認証なる見出しがある。

 FSCとはForest Stewardship Councilの略称で、森林管理協議会のこと。初めて知る機関であった。森林の公益的機能の確保を図りながら、木材生産を含めた計画的な森林経営を進めることを目的としていると書いてある。
 鉄道の旅を楽しみながら沿線の山や林を眺めて、鉄路保安は勿論としてご当地の林業が成り立っているのかが気になってくるのだ。関係者がそれなりの努力をされていることを知った次第である。
金川の森 http://www.morimori-yamanashi.jp/

 その日の夜、甲府の愛宕町教会の壮年会に出席した。「女性の家HELP20年の歩み」と題して、キリスト教矯風会山梨支部長の森川茂子さんがお話された。矯風会の方のお話を聞くのも初めて、HELPなる文字列のもう一つの意味をも初めて知る。パソコンを使っている以上、HELPなる語にはなじみがあり、ちょくちょくお世話になっているのだが。

 HELPとは、House in Emergency of Love and Peeace(愛と平和のある緊急時の家)の略だって。
 矯風会は1886年12月に、クリスチャン女性によって発足した、現存する最も長い歴史をもつ女性団体である。(そのHPから知ったばかりだが)。 http://www18.ocn.jp/~kyofukai/

矯風会創立100周年を機に1986年4月、「女性の家HELP」を設立した。日本は高度成長のバブル最盛期のまっただ中にあり、人手不足で移住外国人が急増した。男性は3K(きつい、ぉたない、きけん)労働に、女性は性産業へと。
 特に外国人女性は悪質ブローカーによって日本に送り込まれ、性の道具にされた。命からがら抜け出して助けを求める女性も急増した。彼女らの「駆け込み寺」の必要性を受け止めて、「駆け込みセンター」の設立を決意したのだ。

 セクシャルハラスメント、ドメスティック・バイオレンスなどと女性の人権を侵害する犯罪の根絶を課題としつつ、緊急保護施設として民間シェルターは全国で90カ所以上にのぼる。公的な施設としてのOASYSから紹介されて入所する例が多いという。山梨県内にも初めてのHELPが開所できる目途が出来たのだ。
 「人種、国籍、言語に関わらず、平等に個人の人権を配慮するスタッフの献身、決意とエネルギーがHELP成功の秘訣だ」と話を結ばれた。

2006年8月10日 (木)

ブログを始めました

 知人や息子がブログを公開しているのに刺激されて、私も古希の手習いよろしく日常の生活で感じた思いを文字に残してみたいと始めました。
 趣味は多くても、これと言ってはまっているものは少ない。しいて言えば、鉄道を利用した旅で、足を下ろした場所の記録にと最寄の郵便局で貯金通帳に局名印を押してもらうことだろうか。2006年7月末で約1000局余を訪ねたことになっている。
 太平洋戦争が終わって61年過ぎた。あの戦争の時に、戦地であるいは銃後で過ごした方々の体験を記録する「戦争体験を掘り起こす会(DIG)」の聞き取り手して、テープ録音機を片手に人生の先輩たちを訪ねるのも活動の一つです。
 わたし「和(Kazu)」のプロフィールは別途作成の予定ですが、今日ブログを始めたばかり。暫くのお待ちを願います。

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