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2009年2月27日 (金)

一関に泊まる

 平泉から一関まで戻る。駅西口を出ると近くに一関駅前郵便局がある。ここで予約しておいたホテルまでの道を尋ねると、親切に地図を書きながら、ホテルの少し先にも郵便局があるよとの情報も付け加えてくれる。お目当てのホテル前を過ぎて、一関田村町郵便局に立ち寄ってから「蔵ホテル一関」へチェックインする。
 中庭に立派な土蔵が建っている。オーナーは元質屋だったとかで、その質倉にちなんでホテルの名前になっているのだ。
 部屋の窓から下を覗くと、裏は市文化センターである。その脇に静態保存のSLが屋根に覆われて鎮座しているではないか。

2009_02200040  翌朝チェックアウトしてから裏口を出て、C58-103号機に挨拶する。レールの路盤が少し高いので、動輪の大きさが特に感ぜられる。所属は「関」とあるから一関機関区所属だったのだろうが、製造年や働いていた線区など、残念ながら説明板がないので一切わからない。
 市内を散策。大きな蔵が並ぶ一画があった。元は酒造業を営んでいた跡だとか。今は登録有形文化財で、酒の民族文化博物館として保存されているのだが、公開時間には早く中を見られなかった。
 一関郵便局へ寄ってから、駅へと戻る。駅前に立つ説明板を見て驚いた。昭和22年9月のカスリン台風、翌年のアイオン台風による洪水の水位を示しているのだが、いずれも人間の背丈よりも上にある。近くを流れる北上川や磐井川の氾濫によるものである。

2009_02200049
 大槻三賢人像も駅前に立っている。その一人は漢和辞典の編者として有名な人(だそうである)。残念ながら、そちらの方は知識が弱いのだ。

 = 泊まった日:2009年2月18日 =

2009年2月26日 (木)

平泉を散策

 またまた大人の休日倶楽部会員パス利用で南三陸方面の旅に出かけた。最初に足を下ろしたのが平泉である。
 東北新幹線を一関で下車、在来線ホームには約10分後の接続で盛岡行きの普通電車が待っていた。盛岡支社の701系2両編成である。
 二つ目の平泉で下車すると、駅前に中尊寺方面行きのバスが待っていた。三つ目の停留所が中尊寺前である。降りると目の前に中尊寺簡易郵便局がある。お店の右半分が郵便局になっている。ここまでは実に順調に来てしまった。さて-とあたりを見回すと、弁慶の墓なる記念碑が建っていた。

 中尊寺の入り口は月見坂と称する急な登り道である。今朝も雪が降ったのであろう。歩くところは箒で雪を掃き払ってある。それでも注意しながら登り始めた。季節的に旅行者は少ないようだけど、いく組かの観光客には出会う。
 あちらこちらと建っているお宮だかお寺だか判然としないところも立ち寄りながら、讃衡蔵(さんこうぞう)なる鉄筋コンクリート造りの建物にたどり着いた。社務所といった感じだ。窓口で金色堂と共通の参拝券を求める。

2009_02200013 【写真:中尊寺金色堂】
 新しい鞘堂に守られた阿弥陀堂=金色堂に入る。須弥壇には大きな仏像が脇持に囲まれて収まっている。その中には藤原清衡、基衡、秀衡の遺体と泰衡の首級が納められているという。柱や長押(なげし)は螺鈿細工と金箔とで蒔絵が施されていた。

 金色堂を出て、経蔵、古い鞘堂と巡り、讃衡蔵の中も拝観する。月見坂を下りながら、途中の義家庵にてそばで昼食とした。去年夏の地震では大きく揺れたが、家具の倒壊や建物に被害はなかったとか。
 バス停まで下りたが、バスは1時間に1本程度のダイヤだ。毛越寺まで歩くことにした。途中の郷土資料館は工事中とかで閉鎖中。

2009_02200026 【写真:池越に見る毛越寺本堂】
 観自在王院跡の広場を横切り、毛越寺へと進む。ここでも拝観料が要るのだ。数組の団体客が案内人に導かれて訪れていた。水鳥が遊ぶ池を中心とした庭園を一周、多くの寺院は火災に遭って焼失していたが、開山堂と屋根の頂に菊の御紋を配した常光堂の2棟だけ残っている。

 駅へ戻る途中で平泉郵便局を訪ねた。そこへの曲がり角にある東北銀行支店の建物は、いかにも平泉を象徴するような屋根構えであった。
 平泉駅の前にある郵便ポストも、上に厨子様の飾りが載っている。

=訪れた日:2009年2月18日(水)=

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